Le 2 mars 2012 Bombay :

ボンベイ、インド30日目 

私達はレオポールカフェにいる。コルバ地区にあり、近年イスラミストから爆発を受けたカフェである。このカフェは、ボンベイの中の西洋を象徴してもいる。 

ゴアからムンバイに向かうバスで、paulo travelsという会社のバスでボンベイ入りした。paulo travelsというバスにのらにほうがいいとお勧めする。私の時々大きく外れるが時には鋭い勘によると、この会社コルバビーチのトラベルエージェントと癒着してるような気がする。あたかもここのバス会社しかないように強く勧められるのが怪しい。列車は予約で満杯だという。それはかなり嘘に近いのではないかと思った。バス会社だってほかにもあるのだ。800ルピーのスリーピングバスを勧められる。横に寝れて快適にボンベイまでいけるというのだ。 

私は花から、バスで寝るのは大嫌いなので、そして、時間が押しているからしょうがなくバスで移動を承諾した。列車は寝台がもうなかった。だからバスに心地よさなどまるで感じていなく、また大変なことになるだろうと怖がってもいた。 

でも予想以上に大変だった。まず、横になれるというスリーパーのバスはキャンセルになったっという。ということでスリーパー組みは、リクライニングシート組みのバスに乗ることになった。バス料金に差額があるのに、何も知らせずに差額も返してくれなかった。 

その上、バス側、、車掌と運転手と同車したブランケット売りはぐるのように感じた。耳が劈けると抗議しているのに、映画をがんがん出かけ続け、それと同時に冷房をがんがんかけつづけたのだ。私は、パンツ2枚が実にロングスカートを着てその上に厚手のシャツ、その上にパリの真冬のセーターを着て、頭をスカーフでハリマ王巻きにした。私は寒がりで、旦那は文句い痛がりだから、私たちだけが、寒いと思ってるのかしらんと思ったら、トイレストップのときに電気がついたときにみんなを見ると、みなもそれぞれに凄い格好をしていた。あるものすべて着ていた状態だった。みんな、アイスキャンデーになってしまったようだと不平を言った。私たちはいったい何の罪でこんな変なバスに乗り込んでしまったのか。これじゃあ、牢屋みたいだ。 

そんな時、バスドライバーが乗ってきて、また、冷房をつけた。みんなブーイングしだした。私はデモ行進のときのようにシュプレヒコールを始めた。「寒すぎる」「寒すぎる」 「寒すぎる」「寒すぎる」「寒すぎる」「寒すぎる」バスドライバーは冷房を止めた。そのとき、ブランケット売りが「ブランケット70ルピー。安いよ。」と売り始めようとする。旦那が切れる前の私が切れた。「あんたたちぐるでしょう。寒くしといて、ブランケット売りつけるなんてフェアじゃない。そんなファッキング・ブランケット誰が買うか。寒がってる人にただで提供しなさい。寒くしたのはドライバーでしょう。あんたたちが責任とってよ。大体、スリーパーで高い金とっておきながらキャンセルで返金なしに、ブランケット売りつけるとはナンジャイ。あんた悪党だわ。インド人ってそうなの? 恥だわ、この悪党。」 

そこまで喧嘩売ったらやっと、その夜は、ドライバーは、冷房をひどくつけすぎなかった。ちょっとこわかったのかも。。とほほ。でもいったことは通じてないと思う。だって彼ら3人とも英語喋れないから。降りるときも、旦那が爆発して金返せ、ちゃんとバスオフィスまでつれてけと怒鳴ったけど、わかってないと思う。 
彼らは私たちを、どこか、まったくわからないとこでおろしたのだ。バスターミナルまで行くといってたのにね。 

まあ、こんな感じで、ボンベイの初日は始まった。ボンベイはほかの都市に比べてとても高い。90ルピーのコーヒーなんて今までのんだことがない値段だ。ちょっと食べれば500は簡単にいく。小さい小屋のような部屋で1600という、今までだったらスイートにしかはらったことのない値段でこんな小部屋。マンガロールで700の部屋は、ここでは5700ぐらいの部屋になる。 

こうなったらもう、いいや、とばかりに、タージという凄い高級なホテルに入っているアーケードで、刺繍が夢のように美しいスカーフと最高級であるカシミアのスカーフを弟にお土産に買った。これは、死ぬほど高かった。自分では高くてこんなものは首には巻けない。多分一生巻かないような値段だった。ただ彼らには、猫のことでは絶大に世話になっている。猫にこれだけ愛情をかけるのは彼らだけかもしれない。やはりそれの御礼となると、自分がとても高くて買えそうにないが、喉から手がでるほどほしいようなものをあげるのがいいのではないかと思ったのだ。贈り物とは犠牲である。でも、これを最初に言ったのは旦那である。私は、タージという凄い高級なホテルでお土産かってあげたらどうだろうといいながら、値段を見ておったまげてやめようと思ったのだが、旦那がそれだからこそあげようということになった。こういう決断のできる彼が好きだ