後記 パリにて 1
ちょっとまとまらない感じでなんかいかに分けてぱらぱら記します。
●インド・ムンバイ=ボンベイでの空港の経験はかなりすごいものがある。
夜10時 市内からタクシーで空港に
夜11時半 ムンバイ=ボンベイ空港到着
ココはまだいい。座ってられるんだから。すごいのはこれから。
夜11時45分チェックイン開始。===>飛行機の中に座れたのはなんと・なんと朝の5時だった。待つということを何回も何回も<寝ず>に繰り返したのは、おそらく初めての経験だった。
どこで並んだか。。
1 チェックイン==それも手際悪し。以下、並べば軽く1時間以上のものばかり。
2 手荷物チェックの長い長い列、
3 税関 、
4 出国審査の長い長い列をはじめから予測してホールがとても大きい、、そこの10列ぐらいは列がうねって立ちっぱなし、
3 搭乗のゲイトの長い列、
4 搭乗のバス待ち、
5 搭乗のためバス内で飛行機のドアが開くのを待つ。
南インドというところは<無秩序の中の不思議な秩序>というようなことを終章で書いたばっかりだ。ムンバイ空港は世界が持っている当たり前のルールを施行しようとしたところだ。
「もしかしたらこの混乱は、インド人は決してなくせないものであるかもしれないし,もしなくせたとしたら、この不思議なハーモニーは無くなるのではないかとも思われた。 」ともかいた。
まさしくその一例ではないかと膝をたたいたのだ。
混乱を避けようとルールをしくと、もっと混乱して時間がかかるという結果がこの空港かもしれない。手際が悪い理由はなんだろうか?それは3点観察された。
1、部署ごとのコミニケーションが悪すぎる。もしかしたら、席に座らせるより、並ばすほうがいいと感じているのかもしれない。
2、パスポートのチェック箇所多すぎ。厳重という意味ではない。チェックの仕方はどんぶりもいいとこ。
3、たぶんインド人の楽しんじゃう性格も列がすすまない理由?
出国審査官の質問
どこから来たの
ボンジュール
あれ カルドエンバグ==すごい発音で私たちは聞き取れなかった。フランス語で出国審査書==ないの?
正しくはなんと発音するの?
じゃあ、行ってらっしゃいはフランス語でなんと言うの?
エ、行ってらっしゃいじゃない?
そうだね、国にかえるんだもんね。それ英語でなんと言うの?
オーボアでいいんだよね?
元気でね~。フランス語でなんていうの?
こんな 出国審査官は見たことがない。どうもこれをどんな国の旅行者にもやっているみたいだった。これは彼だけなんだろうか?彼に一度聞いて見たいもんである。
徹夜でムンバイ空港。これはとても疲れる経験だった。
後記 パリにて 2
疲れた。パリ帰ってきたなり凄く疲れていた。
その疲れ方が今までとは違った感覚で、とても興味深いので、記しておくことにしたい。
なぜ疲れたかは、パリにて1で書いた5時間に及ぶ空港での徹夜で疲れたことは言うまでも無く、34日に及ぶインド滞在がそうさせたと思う。
疲れ方がちょっと変。。
空港内は適度だと思ったら大間違いで寒かった。冷房は効いてるだろうなあと用意しておいたマフラーなど役に立たないほど寒い。5時間後に乗った飛行機も寒かった。ドーハで降りたら、夜明けなので寒かった。空港内もやはり寒かった。と言うことで、風邪の初期症状くしゃみばかり出るし、鼻がたれてきてやばいかなと思った。==ps 夜明けの素晴らしいアラブのデカイ太陽を拝めたことは特筆すべき事だ。それとどこまでも広がる砂漠。。あれは凄い。
と言うことであまり寝れなかった。徹夜に近い状態。。約1時間寝ただけ。パリに着いて預けた荷物は出るのは早かったが、途切れながら回ってきたので、自分のを見つけるのまで1時間はかかったように思う。それから旦那の荷物をとき、はさみを見つけ、ぐるぐるにサランラップに巻かれた私の荷物をとき、壊された日傘の箱の周りにこれでもかと巻きつけてあった冬服をといて着るまでに時間がかかった。だからもう寒いという感覚はなくなった。
荷物は、冬服がなくなった分随分軽くなったと思った。しょったら、地球の中にズズズと沈んでいくと思ったほど鉛のように重かった。足首はロボットのようにうまく曲がらなかった。それと同時に右の足の付け根がなんだか錠の掛け違いのような違和感を感じた。背中が鉄の鉄板のように曲がらなかった。頭はふらふらして、とまったらとたんに倒れそうな気がした。この疲れ方、今まで経験したことのない疲れ方だった。どこも痛くはなかった。ほんとに純粋に身体の芯が疲れて体中の筋肉に休めと命令しているようだった。。こういうのってちょっと不思議な感覚。若いとき2日間徹夜してもこんな感覚ではなかった。年をとったのか?
それでも私達は、タクシーに乗らず、列車で来た駅まで向かった。そして電車に乗るなり眠りに陥った。だから、北駅に着いたときは2分かそこらでついたような気がしたものだ。
家について、何とか荷物はといた。そこまではしないとなんか気分が悪かったので。第一回目の選択をはじめた。旦那は水が出せるようにしたり、暖房が入るようにしたり、電気を使えるようにしたり、それから夕食の買い物に行った。私の身体は何だか、何かを吐き出したがってる感じで、トイレに行くと、まるで途切れることを知らずに大きいほうがお出ましになった。今まで便秘をしていたわけではない旅だったのに。。確かに、何だかおなかがペッチャンコにならなかったので変だとは思ったが。。これだけ宿便見たいなものを溜め込んでいたのかと思うと不思議だった。
私はベットに入った瞬間に眠ってしまった。まだ日も暮れていないときだ。
それからパリ時間の朝7時までまったく起きなかった。夢も見なかった。眠ったという感覚もなかった。
朝起きると頭が痛かったので薬を飲んだ気がする。ブロも取り戻しに妹のうちに出かけ、散在したお土産も気に入ってくれた感じだし、コルネなんか作って待ってくれていたのが素敵だった。
疲れたってのは取れて、なんと説明してわからないけど、普通の人間的な疲れというか、痛みというか、そんなものに戻った感じだ。
30年前始めてヨーロッパ旅行から帰ったときは、疲れて、2日間眠り続けたという。その感覚に一番近いかもしれない。ただそのときの感覚は忘れてしまった。だから今度は言葉でうまく表現できないがちょっとだけ記しておくことにした。ちょっと人間離れした疲れだった。
後記 パリにて 3
http://heyreiko.over-blog.fr/article-101133594.html
後記なんていつまで続くんでしょうね。うーん。まあいいや、あんまし考えないで第三弾は生地です。
かなりよいのを捕まえた気がします。。うひょひょ。らぶりー。
今日はやっと、もしかしたら風邪かな?という症状になっています。のど痛い。
午後はやらなくてはいけないことに激突してきます。
それにしても洗濯が果てしなく続きます。干すスペースに限界があること。それと天候の違いをすごく実感。インドは前の日に洗ったら次の日にはパリパリに乾いてます。手洗いで絞りがゆるいのにです。パリはなかなか乾かなく手先に進みません。洗濯機と生きてるみたいです。
猫は、家に帰ると3時間ぐらいはくんくんしたり落ち着きがない様子でしたが、昨日の夜は自分らしさを取り戻し、寝ろと命令したり、深夜トイレに立つと後をつけて早くもどれと命令したり、私の胸の上でいびきをかいたり、私の右腕とセックスなさったり、朝起きたら早く部屋の暖房つけろといったり、普通の猫に戻りました。ちょっと心配して猫について回った麗子でありました。いつもとは反対ね。今はいつものお気に入りのクッションで寝ています。
旦那は忙しい忙しいと何かやってます。フェイスブックかな。あれだけ嫌ったフェイスブックに私が誘い入れたら今では友達の数を自慢するようになったやつです。
パリにて パパコ珈琲をがぶ飲みしたため気持ち悪くなったと思います。
後記 パリにて 4
明日は「後記」状態を少し抜け出したい れいこであります。おなかが痛くなったり、コンピューターにヴィールス・ブロックが入って緊急アナルシスかけたり、結局、家に張り付いてました。夕食のお買い物に出かけたものの、まだ「後記」状態が抜け出ていなく、明日は、ドカンと一歩あるきたいものです。
まだ解決していなく、旦那待ちなのが、日傘問題。
インドに行くときにカタール航空に壊されてカタール航空は弁償してくれなかった日傘です。
罪を憎んで人は憎まずといいますが、壊したやつ出て来い、ぶっ殺すぞ~みたいな憎しみありますね。正直な話。
ちょっと写真取りました。どのように壊れたか、どのように包んで帰ってきたか。
特にインドで箱探しは面白かった。捨ててあった箱さえも金出せというので、もう、いいとさったら半額になったとか、そんな けち臭いがよくある話です。
旦那が前よりも美しくしてやるから泣くなといってたけどホントなのか半信半疑であります。
最後の一枚は、インドから配送するときパッケージは全部布でこのようにパッキングすることが定められております。美しいです。
インドははるかかなたに遠く感じられます。
帰った来た日に頭がふらふらしていたせいか、うちのキッチンの黄色の壁が見えた瞬間、ぱあああとまるで一つのフィルムのように懐かしい映像や懐かしいインドの顔が流れました。それはほんの一瞬でした。きっと死ぬ時ってのはこういう映像見るって言いますね。そんな感じで瞬時にぱああと流れたのです。
そんな映像ももう過去のこと。
今はインドがはるかかなたになりました。
インドであった人たちがメールをくれたり、パリから、日本からメールが来ていましたが最後のほうはミクシーで手一杯でメールの方にはご無沙汰していて はてにはツイッターやフェイスブックにいたっては、閑古鳥だったわけです。
私はパリにいます、と何人も何人も友人に3つの言葉でメールしました。
続編 よし、ガンジーになろう。
インドに行って帰ってきたのですが、今度行くとしたらガンジーの塩の行進のあとたどったり、アシュラムにいったりして見たいなあと思ってます。アシュラムの近くに日本語の翻訳を統括されてる出版社があるそうでそこにも行ってお話聞きたいなあと思ってるんですが、いつになるかは。。とにかく暑いですからね、今度こそは折りたたみ日傘で挑まねば。。
私はガンジーとキング牧師のファンでして、とくにガンジーからはどうしたら怒りをエネルギーに変えられるのか学びたいひとりであります。
日本はもう直ぐ311ですね。皆一人ひとりがガンジーになったら日本は放射能問題からもう少しいい方向にいくのではないかと思っています。もちろんばら撒いちゃった放射能はもうどうしようもないのですが、これ以上悲惨にならないためにも何かしなくてはね。長いものに巻かれろで諦めちゃだめだと思う。よし、ガンジーになろう。これでなければ。
マハトマ=ガンジー
昨日見たヴィデオのアドレス。日本語です。よく編集されてます。
http://www.youtube.com/watch?v=Hs86OFXkqx4&feature=related
怒りが生じたら日記に書きなさい。しかし怒りをそのままぶつけるのではなく、どうして怒りが生じたのか、そしてどうすれば怒らずにすむか、その解決方法を書きなさい。
http://www.youtube.com/watch?v=KKYkZ2g5UB8&feature=related
サティアグラハとはけっして諦めないこと、そしていかなる場合もけっして敗北を受け入れないことなのです。
http://www.youtube.com/watch?v=d-vJ3OTzv9Q&feature=related
暴力は何も解決しません。愛、お互いを信頼する心、理性が、問題を解決します。みんなが共存することが大切なんです。
http://www.youtube.com/watch?v=za5U040S7wg&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=_CiNsJM08l8&feature=related
一番の敵は欲である。
私には見える、闇の中にこそ光が存在するのが
記念館で、ほんと馬鹿なヴィジターと同様ガンジーの写真のそばで写真を撮った私であります。だって、敬愛してるんだもん。
http://heyreiko.over-blog.fr/article-101182308.html
写真はこちら。英語の名言で心の響いたものの写真あり。
よし、ガンジーになろう。皆一人ひとりがガンジーになればこの国救えます。いや世界が救えるかもしれない。できるか? そうしなければ人間は滅亡かな。
続編 フランス語のこと
フランス語のこと
書きたいんだけどその前にちょっと。
このごろ、やっと、長年立った後で、自分の顔というのがどこの国でも善人にしか見えないという事実を、53年かけて認めた。。感じがします。
昨日だっけ、なんかつかれたなあ~ヤッパ インド疲れ抜けてないじゃん。。なんてグレーな気分でうちの近くを歩いておったのです。駅に向かっていました。私の家のあたりを知ってる方はご想像ください。このカルチエ、優しい方々がそろってるわけじゃないです。
信号待ちでとまっていたら、向こう岸で止まっている方々が、なんだか幸せそうなものを愛でるようなにこやかな顔をおばさんたちが私に向けるではありませんか。エ、、、と思って後ろにあるショーウインドー覗いたらですね、、そこは陽が照っていて、ウサギのような白いマフラーをして足でまあるいバックをぽんぽん蹴ってる女性が写ってました。確かに愛らしい。
それが私でした。
中側の私というのは、疲れたばかりいってる腰が曲がったようなおばあさんだったりします。5年前からやっぱり手術後はがたんと疲れやすくなってしまったので、自分としてはかなり婆なイメージなんですね。
でもそういう風には見えないらしい。いや、きっとそういう風に見えるときもあるかもしれない。でも大半は幸せそうな顔をしているらしい。
で、きのう、何だか、びっくりでした。ヤッパ わたしふくふくしいかおしてるんやなと。おかめ顔見てこの人不幸そうとは思いませんからねえ。いや実は不幸といってるんじゃないですよ。念のために。
こんなイントロにして見ました。
それからどこに行ったか?
久しぶりにフランス語三昧してきたわけです。アルクとブルノ塾。6時間フランス語三昧
アルクと言う場所はですねえ、ボランティアの先生が4人テーブル居座っていまして、そこの非フランコフォンが座ります。それでただおしゃべりするわけです。
ブルノ塾というのはブトーカイユという場所にあるライブラリーでフランス語教えてる場所がある。病院通いしたとき見つけて、それ以後、週一回か2回行き始めたのだからもう5年になります。
それでココが書きたかった。聞いてください。
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インドでほとんどフランス語喋りも聞きもしない生活が5週間。すごいですねえ。かえってきたらフランス語が自然に出てこないわけです。脳にさあこれからフランス語はなしたまえと命令しないと出てこない。たった5週間でこうなるわけ?驚異です。
フランスにかえってきて隣人にボンジュールではなくハーイいといってしまったり。。
日本に行ったときよりも忘れ方がひどくてこれはなんででだろうと考え込んだわけです。
果てしなく驚異の世界。何故?
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考え込んでも前の喋る感覚戻ってこないんでとにかくフランス語のシャワー浴びるぞと思ってやっと帰国4日目に重い腰を上げていってきました。結果はぼちぼちでんねん。
いいたいこと自体がすごく少ない文章のままになってしまいましたが、一番感じたことって文章では伝えにくいかもしれないというしゅうしゅう君に対しての返事でもあります。