Private car with AC!

次の日からプライベイトドライバー付の冷房付車で、歩く旅行が始まった。
ブバネシュワール
Olasingh
Nuapatna
Dhokra
Dhenkanal
Nuapatna
Barapali
Sonepur
Sambalpuri
プリー
という経路だ。

ドライバーはラマと言う男性で、時間に律儀だった。朝も20分前には到着する。3人のお子さんがいて、うえが19歳、一番下が5歳で、子供の話を持ち出すと顔が緩みっぱなしになった。真っ白な車に真っ白なタオルで座席全てをくるんでいた。自身も上から下まで真っ白ないでたちだった。靴もぴかぴかに磨いていた。車は毎日ドライブ後には洗車をした形跡が毎日ある。とにかく綺麗好きだったので、私の旦那が毎日同じ破れたジーンズを短く切ったものを着ているのが不思議だったらしい。一度私になぜかと旦那がトイレに行った時聞いてきたので、彼は汚いの好きなのと答えておいたが納得できない顔だった。律儀な人だったので、エクストラマネーがもらえるおみやげ物屋によるとか一切しなかった。デリーの観光客ずれしたドライバーとは違い、自分自身の品格を誇っていた。どうも親方気質のようで、彼の使う英語だと私が使用人のごとく命令口調だったが、かえってそこが頑固親父のようで面白かった。

オリッサ地方は、ジーラライスに紫蘇を入れてる味がする。微笑が、日本のおもてなし微笑に似ている。絣などの柄が日本を髣髴とさせる。米を作る田んぼの水気のある緑が日本のようだ。5月27日はヒンドゥのお祭りの日で、女たちは新しいサリーを着て、足に赤い色を塗り、果物や野菜の篭を持って寺院に行き奉納する。そのため、果物や野菜箱の灯の値段は高い。品質は特にいいものを神に捧げる。自分ではなく、美味しいものを神にささげるのが私にはやはり納得がいかない。なぜ神か? 

宗教は人類にとって悪か、善か、と言う議論を夫とする。私はアメニズムという地球や人間以外のものを信じる宗教に一番賛成をしている。ヨーロッパが、中世からルネッサンスを迎えて、神を捨て、科学に傾いていったころ、力のあるものが宗教の利用を試みる。宗教がうまく使われるのではなく権力のために使われるようになったころから、地球は破壊されていったと思う。権力が富を自分だけのものにする。50年代のインダストリアル化で地球は破壊は決定的になり、人口は増え続け、大衆には、自分を犠牲にしても寺院を建てさせ、一番よい果物を奉納させる。宗教が正しく使われていたなら、これだけの地球の破壊はなかったのではないか? 大衆はなぜだまされやすくできているのか? 

50年代のインダストリアル化のころの原発はよいものとすりこぎされている同じような現象がインドにも見られるような気がする。ドライバー・ラマが、チェルノブイリを知らなかった。日本とインドの原発の協定を彼は歓迎している。子供たちが癌になったと言う情報を知らなかった。インドよ、今ならまだ間に合う。どうかインドは原発なんかやらないで太陽電気で充分もつということを彼に言った。フランスと日本が、ころっと騙されて原発プラントをいっぱい作ったことに二の舞だけはしないでほしい。