Puri
プリー===============
私達は旅の最後にプリーにいる。声を大にしていうが、オフシーズンのプリ-なんて来るもんじゃない。冬のプリーがいいのかどうかはしらないが、私の予測だと来るもんじゃないと思う。プリ-は海の町だが、まず汚い。ヒッピーに見放されてしまった町だ。町全体が、悪魔的に汚い。浜辺もなにやら、不満と不幸がたまっている。悪魔的に汚くても人々が底抜けに明るい町がある。しかしながらここはなんだか、変な気が漂っている。人々の顔が暗い。お金を何とかもうけたい人々が無理やりの明るさで話しかけてくるが、はやらなくなった浜辺のみすぼらしさが返って強調されてしまう。死んだ町。
私はその変な気に何とかかかわらないようにするためにはどうしたものかと、頑張ってみるが、空は曇り空でどんよりしているくせに、波は高い。砂浜では乞食の子達に追いかけ、足は早速いろんな虫に刺されまくった。海辺の道は、クラクションだらけで車に蹴散らされ、やっと入ったカフェで注文したものには虫が入っていた。踏んだりけったりで浜辺のそばの部屋に帰ってみると、冷房はコントロール不可能で寒すぎて、ファンもぐるぐる回りこれまたコントロール不可能。眠られるか心配だ。2つあるプラグでひとつは使用不可能。それは蚊とり機につなげてあるので、気を紛らわすためにテレビも見ることもできない。不貞寝もできなく凍えて、何もする気になれず、、、そんなとこに旦那が帰ってきて、嫌に優しくひとつづつ困った点を解決してくれた。こういうときだけは旦那に感謝。
それでも私達は、夏の時期にはインドに来ては駄目だねと言いながら、修行僧のように海の音を聞きながら夕食を食べた。
プリーのホテルの命名の仕方は面白いものがあった。今泊まってるのはピンクハウスと言う名前だが、http://www.pinkhousepuri.com/ピンクなんかどこにも使われてはいないバンガロータイプの海のまん前のビーチハット。ビーチハットと言う名前のホテルがあるが、4階建てのビジネスホテルで、海が見える部屋などなさそう。ホテルは林立していて、かつては多くの外人観光客が来たのだ。もともとヒッピーの聖地だったので、ヒッピー的名前のカフェなどがある。ハーリーズカフェは前はカフェで変わりメニューのオジヤなどがあったが、今は完全インドヴェジタリアンのレストランに変えたとオーナーが言う。名前だけが残った例。かつては外人観光客だらけだったが、時は移り、今はコルカタに住むインド人の保養地そしてヒンドゥの聖地だ。
午前中海を歩く。今日は暑くないほう。35度ぐらいかな。海風っていいよね。海ってどんな海にしろいい。私達は海からやってきたのだって凄くわかる。海は海。海はいいのだ。特に、インド人が見ていると面白い。洋服で水の中に入ってしまうインド人に驚くことはもうなくなったと言えど、やはり見ていると楽しい。人懐こい人が多く、手を振り合うのはシンプルに楽しい。彼らは人生大いに楽しんでると思う。
サリーの下に着る下着かってみたんだけど、胸大きすぎだから、小さく縫ってみた。それでへそだしのままカフェにいる。ぎょっとされるのは覚悟してるがこれで歩く。だって暑くて。これでマーケットに行く。結果、いつもどうりのぎょっプラス・アルファーはちょこっとであった。
インド人の保養地そしてヒンドゥの聖地の面白さを発見した。外人に見捨てられたホテル街などは、桁違いに、ジャガンナート寺院の辺りは活気と楽しさに満ちていた。泊まるとこなどもいっぱいあって、昔からの建物が汚いとはいえ、美しい彫刻を施して、色とりどりの神様が面白かった。聖地だからして、凄い数のインド人が、我も先にと寺院の中にありがたさいっぱいで吸い寄せられていく様子も面白いし、マーケットが活気があり、物売り、ゴミ、乞食さんたち、牛たち、警察、こんもりとした路上の牛うんこ、蝿の集団、美しいサリー、子供の洋服や、宗教関係の店、靴屋、ジュース屋、7月のお祭りのための大きな車輪を作っている大工さんたち、オートリキシャ、人がひくリキシャで賑々しく寺院に行く、鮮やかにサリーを着飾った婦人の極端に赤い紅の色、そういう混沌がインドらしい。町が生きていた。
プリ-は海をめがけてくるべきではない。聖地に参拝するインド人をウオッチングするために来るのなら、それは大きな価値があると思う。