Shankar
コルカタ サンカーとの出会いと彼の家と家族==
コルカタにもどる。まるでエアポートのような大きな駅にサンカーが車で向かいに来てくれていた。そうでなければ私たちは2時間ぐらいの長いタクシー乗り場で、2時間ほど遅れた列車の疲れで死んでいた。
サンカーひょんなことでであったインド人の知り合い。
サンカーとは実は最初病気が治ったと思った朝、町にはいでたときに出会った。ベットから這い出し、旦那と二人で、これもまたパリにいたとき色々サーチした自然食品の店にタクシーで行って貰ったら見事につぶれていて、病気の最中にに朝といえどタクシーに乗ったとはいえど、やっぱりぶっ倒れそうになって、直ぐ冷房の効いたレストランに飛び込み冷たいジュースなどをがぶ飲みして、もう一度さえた脳で自然食品の店のリストを眺め、次の候補に電話をかけた。それが、
Casa Puro ( Hope Mercantiles ) 8 BBD Bag East Kolkata
Kolkata
700001
http://casapuro.webnode.com/about-us/
だった。お店はない。お宅のホテルまで商品を持って伺いますというので、いや、色々商品みたいからそちらに向かいますといって、彼のオフィス8 BBD Bag East Kolkataまで出向くことにした。
そのときもう一つ電話したのが、先に書いたSwosti Travels &
Expartsであった。
このレストランでついに納得したこと。結局のところエアコンは今まで大嫌いで、nyも東京も名古屋もエアコンなしの生活をしたのに、このインドの殺人的蒸し暑さは、エアコンなしではすぐ頭痛を引き起こしたので、エアコンなしでは生きていけないことにやっと気がついたのだ。以後ホテルの部屋はエアコンつきにした。8 BBD Bag East
Kolkataまで出向くともう10分も発たないのに気温に負けた。オフィスというのが、何だか恐ろしい感じだったので、騙されたらどうしようと思ったが、Casa Puroのvip Vivekは腰の低い紳士だった。エアコンなしのオフィスで商談をするような感じで、高々ヨーロッパのお金にすると30ユーロの買い物を何百万の買い物をするかのように扱われて、委託する。ホテルまで届けてくれる手はずにして、その場を去った。https://www.facebook.com/casapuro Casa Puroのvip Vivekは全く間違いなしに最後の日に商品を届けてくれた。
さてそのサンカーの話しだ。Vivek のオフィス8 BBD Bagからホテルまでは直ぐ近くだからというので、私たちは歩いた。だがまたそれも幻想だった。暑くてまるで蜃気楼のように。。三角形の曲がり角に大きな電気機器屋があって、そこに誇るように冷房が並べてあるのが外から見えた。その冷房を羨望の目で見ながら後一歩で倒れるかなと思ったら、大きな電気機器屋の三角の先に大きな出入り口があり、なんと出口は開けっ放しだから、そこから涼しい風が流れてきた。その場所は憩いの場となっているかのようで、インド人が涼みにやってきているようだった。私もその前に立ち、少しずつ脳が鮮明になるように感じた。そしてタクシーの運ちゃんを探そうとした。そこにサンカーは涼んでいた一人だった。
あとでだんだん彼の人生が分かるが、今現在彼は失業中だった。キングフィッシャー航空が経営不振で従業員に対する給料の未払いが続いたため、2012年10月1日より一部の従業員がストライキに突入。以後訴えてる一人に彼がいるわけである。以前はキングフィッシャー航空インターナショナルエアポートに勤めていた。これを後で聞いて納得した。非常にハイソでハンサムな彼だった。立ち振る舞いが優雅で気がつき繊細なサービスが出来る男だった。町の角にいる客引きとは品格が違った。何か理由がありであるなあと思ったものだ。
その彼が私になんといって話しかけてきたか今となっては思い出せない。だってもう一歩で倒れるかなと思ったときであったから。ちょっと話しただけでなぜか気があって、ホテルまで送ってくれることになった。初めはタクシーを闇でやってるのかと思って、タクシー代を聞いたものだ。旦那もちょっと疑った顔をしたものだ。車にはプレスというカードが貼ってあった。彼がプレスではなく、プレスの人を乗せて町を運転するといっていた。今は丁度仕事と仕事の狭間なんであるという説明だった。インドの歴史ガンジーの事、果てはマサラの話など色々話した。彼は非常に知識人だった。街はいつも渋滞だから、ほんの少し行くのにすごく時間がかかった。彼は、夕方から身体が空くから、コルコタ案内させてくれという話になった。その次の日ブバネシュワールに立つ日だったので、午後は休んで夕方彼が迎えに来てからまた町に出かけた。彼はいつも楽しい男で、教養があった。彼は私たちが大変気に入ったので、今度は是非コルコタにもどったら一日中町を案内したいというので彼の電話番号と私たちの電話番号を交換したのだ。
以後何かというと電話が友人のように掛かって来て、何かと助けてくれた。いつも明るかった。
コルカタにもどる。サンカーが車で向かいに来てくれていた。そうでなければ私たちは2時間ぐらいの長いタクシー乗り場で死んでいたことだろう。
その次の日はサンカーが車でコルカタを案内してくれた。私は病気でホテルに寝ていたコルコタだったので、それがホントのコルカタ観光になった。彼が案内したところは皆気に入ったし、最後のマーケットで連れて行ってくれたスパイス屋のスパイスはパリで食べたら頭さげて感謝したいほどおいしかった。
その彼が、嘘みたいなことを言い出したので、旦那はちょっと仰け反った。彼は家に夕食を招待したいといってきた。彼は私たちのことが好きで散々母や父に話したという。そうしたら彼らは是非会いたいから食事に誘うようにといったというのだ。子供たちも大変楽しみにしてるからどうか来てほしいという。旦那はちょっと仰け反った理由には、一月に来た時ののコルカタ経験があった。随分英語の達者なガイドにあって、その彼にやはり家に来てくれといわれたそうだ。行った先は物凄く貧しい家で、小さいアパートに子供と親と全部まとめて住んでいる。出されたチキンは彼らにしたらきっと大枚はたいて買ったチキンに違いないが、あまりの酷さに彼は食べれなくて、満腹だと嘘をついたらしい。旦那には歴然とした自分と貧富の差で、彼らのオファーを楽しめなかった自分を悔やんでいたのだ。だから今度もソウダッタラどうしようとたじろいたという。その話を私は知っていたので、サンカーにこう提案した。
「ねえ、昼食ってのはどうかしら?貴方の家がエアポートが近いなら、私たちをエアポートに送っていく前に昼食に寄らしていただくってのがいいと思うの。」彼もそのほうが楽だと直ぐ賛成した。
次の日朝は時間があったのでマザーハウスに出かけた。それはまた後述する。そして、サンカーが仕事で迎えにこれないとまたプレスの友人のアンバサドールが白い服来たドライバーとともに安宿に現れたときには驚いた。
続いてまた驚くことになる。どんな汚いお家に連れて行かれようともどんな汚い昼食を出され様が私はちゃんと頂こう。。だって、気持ちがまず嬉しいじゃないか。。と着いた先は中級以上の住宅地であった。近くの川はいつものように汚い河だったが、何だか綺麗な家が並ぶ。僕は今アパート住まいだが近くに家を建てている。。と彼は言う。一緒に来た彼の子供は一目見ただけで、愛情をまっすぐ浴びた良い子だということが直ぐ分かった。その上なんて可愛いのだろう。近所を歩いていたら何だか良いエスプリを感じる。彼ら事態も良いエスプリなんだが。そんな彼らに案内され、アパートに着く。お母様とお父様が1階上のアパートに住んでいた。彼らはそのアパート全体の持ち主だという。はっきリいって金持ちだった。彼らのアパートは私のアパートよりも大きくて、非常に美しくデコレーションがされていた。コルカタにきたときはいつでも泊まりにきてくださいと明るく言われた。パリのうちにお呼びするのが返って失礼のような気がしたが、パリにも是非とお勧めした。インドの中級金持ち。。。というのを始めて見た。驚いた点は、ご家族全ての人が、愛情に包まれて、幸せいっぱいだったのである。太陽のような家族。性格皆よさそう。。頂いたマサラはキンキラキンにうまい。下の会にすむ子が我が家のように遊びに来た。日本語教えたら見る見る覚えた。お隣の子もやっぱりきらきらにいい子であった。こんなパラダイスのような町を今までみたことがあるだろうか?町全体があたかも良い人しか住んでいないように見えた.何故こんな愛情で満たせるのか??これはマザーハウスを訪れたときと同じ疑問だった。
<夕食が美味しくなかった>不幸がこの旅行の始まりだったが、<昼食が美味しかった>幸福で終わる。コルカタの空港に来る前にサンカーの御家でお母様が作った最高のマサラを頂いた。感謝でいっぱいでコルカタの空港でサンカーと大げさな別れをした。