Mother house
マザーテレサ=============
マザーテレサにお会いしたことがないので、彼女が本物の人間愛に満ちた人なのかどうかは分からない。偉人聖人はなんだか胡散臭い話がまとわりついてくるものだし、宗教にはそっぽを向く私はちょっと構えてみる癖がある。けれども彼女がしたことをあげただけでも、尊敬には十分値すると思う。旅の前に彼女の人生を復習学習してカルカッタにいった私は、マザーハウスと呼ばれる彼女のボランティア活動の拠点を訪れるかどうか迷っていたら、病気になってしまったし、ひとたびカルカッタに戻ってきて、サンカーに回ってもらったときも近くのマザーハウスまで行くまでの時間が取れなかった。今日の朝、一度入ったことのある旦那といっしょに行ってきた。フライト前にちょっとよる。
正直、感激した。その場所は、近くに寄っただけでも慈愛に満ち満ちていた。ものすごいパワーを持った愛情の塊のような空気がある。
マザーテレサだけがその空気を作ったのではない。マザーテレサに賛同した修道女や、たくさんのボランティアや、訪れる人々の魂の塊がしみている場所だ。
ちょっと面白いことが起きた。
私はちょっと気に入らないことがあると離婚したいと思うたちだ。以前は散々頑張って、別れないでおこうとした努力家だったので、反省したのだ。男と女、うまくいかなかったら何年たったって仲がよくなることはないよってのが私の持論なのだ。
マザーテレサのミュージアムでマザーが言われた言葉がいろいろ書いてあって、ようは、愛だよな。。愛で包めばいいんだよな。。確かにそうだ。。。なんて身近なうちの連れ合いにしている私の我侭をしおらしく反省したりした。いや~このごろぞんざいに扱ってるもんナ。。いかんな~ごめんよ~なんて思ったのであった。
とにかく人には親切にね。。なんて思っていたら、マザーハウスの中に大きなバックパックを背負った日本人の男の子が入ってきて、この近く日本人宿があるんだけれどどこか知ってますかと聞くではないか。旦那に聞いてもわからない。私も知らない。じゃあ、マザーハウスの中に働いている修道女に聞いたら教えてくれるかもと思って聞いたらわからなかった。じゃあ、マザーハウスの前に座ってる人に聞いたら、、わからなかった。そうしたら、マザーハウスの中に働いている修道女が、ほかの働いている男性に聞いてくれて、その人が彼を案内してくれることになった。やっぱり、ここのマザーハウスの修道女は本当に優しい。
そんな機会に恵まれて、マザーハウスの修道女2人と話をした。彼女たちは、私が我がことのように探しているので、彼とカップルと思ったらしい。イエ、イエ、うちの旦那はここにおりますなんて、私をまって結構ぶうたれている旦那を紹介した。ボランティアやらないと誘われて、興味あるんですが帰るフライトが今日なんでまた今度来たときにします、、と答えた。本当にしたいと思ったのだ。そうしたら、彼女は、マザーの棺の前にマザーの写真があるが、あれ持っていってください。。などと、いわれるので、ありがたく頂戴した。マザーの写真とちょっとした説明が書いてあり、やすっちいのに輝く心のこもったロザリオが付いていた。心のこもったものは輝く。大事にしようと思った。
それで旦那と二人で宿に戻った。旦那はちょっとかおなじみのカフェに最後にいくと出かけた。さあ、鬼のいぬまにネットでも~なんて思ってたら、彼はすぐ帰ってきた。新聞を買って、最後になじみのカフェで読もうと思ったら、お気に入りの眼鏡がない。完全にパニックになり、部屋に帰ってきたのだ。部屋にもない。。そのパニック振りは私には到底手に負えない獰猛さで、いつも呆れてしまう。なだめてもすかしてもうまくいかないで、今度はもうほっておいた。アルツでいったいどこで使ったか、どこら辺で落としたか、記憶が戻らない。いい加減にいつものことながら、腹が立つ。何が腹が立つって、反省のかけらもない。何でもかんでも整理なくサックに放り込むことをいくら注意しても駄目。そのうえ獰猛なんで、もういやだ。。泣き叫ぶ赤ちゃんよりたちが悪い。もうこれで最後、さよならしましょう。もう私は切れました。眼鏡の切れ目は、縁の切れ目。
私のガイド見てもマザーハウスの電話番号は載ってなかった。旦那はどうせ違うとこに落としたんだ、、僕ばかり、サックの開け閉めさせられるからと自分以外のものを責める言葉が私の怒りをさかなでる。けれど、やはり、何とかしようとしてしまう自分がにくい。そう思いながら、マザーの写真の裏を見たら、ちゃんと電話番号の記載があった。そして電話してみたら、私と話した修道女が、はっきりした声で、お預かりしてますと答えたのだ。時間は30分あった。旦那にタクシーで走らせた。
この一連のことは、奇跡のように思えた。一つ一つの偶然が重なって見事に眼鏡が戻ってきたのだ。あの眼鏡が戻ってこなかったら、私は離婚していた。それは離婚と言うものに反対するマザーの意思であったかのような、奇跡だった。
人生なんて本当に偶然だらけ。。今回はちょっと反省した。まず、一番近くにいる人に最高の愛情を絶えず満たすこことが結果には自分を幸福にする方法だと思う。そういう幸福がまた人を幸福にする。そういうものすごいパワーを感じさせたマザーのハウスは凄い。圧倒的に感動的だった。