Bhubaneswar
ブバネシュワール==========
旅行はいつも驚きに満ちている。ブバネシュワール行きの列車の満員で蒸し風呂の後の朝は大量の雨と風で少々寒い。ホテルのタイルの床に殴り付けられる雨の痕。ブバネシュワールにつき次第よってきた客引きのいつものにぎやかでうそつきな対応が嫌いな私は、旦那が20ユーロで買ったインドのシムカードでネットでお勧めな宿に電話をかけた。Priya
Hotel
http://www.tripadvisor.in/Hotel_Review-g297661-d1195386-Reviews-Priya_Hotel-Bhubaneswar_Orissa.html勘がよかった。一度満杯ですと断られたのだが、キャンセル空きができた。値段は、2人10ユーロほどで、パリのビジネスホテルの100ユーロぐらいのホテルである。と言ってもここはクオリティの割には安いとトリップアドバイザーに出ていた。普通だとこの土地でこの程度のホテルは15ユーロが相場だ。コルカタは旧首都だけあって、湿気で口落ちた壁だらけのしょん便くさい安宿とこのビジネスホテルと同じ値段である。そのホテルを電話で予約したあと、一番しつこかったリキシャのオジサンのほとんど歩くような速度で、どこに連れて行かれるかわからない不安を抱えながら、汗だくになったオジサンの背中に人生を感じながら、リキシャなんか古いと馬鹿にする若者の嘲笑を浴びながら、車とバイクとオートリキシャのクラクションを浴び、坂道を登る彼に同情して俺は降りると言った旦那を今は危ないと引き止めながら、きしんだリキシャにお尻が痛くなったころ、5分でいく道のりに30分もかけてホテルに到着すると、一階の人気のレストランに人が華やかに並んでいた。オジサンはたったの50ルピー=1ユーロ以下を要求し、このホテルが嫌いだったら俺様が後5ルピーも出せばほかを紹介すると何度も言った。インドの消え行く風景、、リキシャ。歯のかけたオジサンは、仲間がオートに変えていくなかけっして譲ることなく自転車でひくリキシャ家業を続けているに違いない。
人気のレストランで並ぶ時間もなく座れたのは、次の日のインタヴューのためにハイデラバードから訪れた若き眼科医が同席を許してくれたからだった。眼科医にとって素晴らしいポジションがここの医大にあるそうで、先月は妻を連れてパリにいったらしく、私がフランス人というと、うれしがってパリの写真を見せてくれた。旦那がパリよりインドが好きというとのけぞって驚くその真ん丸い眼が印象的だった。非常に西洋的紳士、と言うかインド的紳士、植民地時代に身につけた元はと言えば英国紳士の優雅な振る舞いがインドには根づいている。
インドを訪れる愉しさに、やはり、このようなインド人ウオッチングがある。彼らは明るい言っても俺様はと言葉で語るのではなく、晴れやかな優雅さで言葉もなく見事に魅せてしまう。
人気のレストランは限りなく美味しかった。味がジャストなのであった。インド全域にいえるが、うまいレストランがどこかわからなかったらホテルに併設のレストランに行くといい。意外に大当たりがでる。そうでないにしても、病気にならない食べ物にはあたる。そして何だか高級そうなレストランでも意外と安い。サービスが旧イギリス式で椅子をひいてくれさえするところでも、安い。これも面白い。ホテルがとても高くて泊まれないが、その隣接のレストランは、意外と安い。もちろん高いと言う感覚はインドでは違うのだが。。2人で10ユーロ出したら、高級感覚なのである。普通の食事で2人で3ユーロほど。
とインドエキスパートを気取っても、インドこそ、個人個人の目で違う国もそうないと思う。同じ時を過ごし、同じ場所を共有するミッシェルとも違う部分と同じ部分の感じ方の交差の仕方が面白いと思う。
サテ、大雨のブバネシュワールの一日が過ぎた。朝から晩まで途切れながらも一日中土砂降りだった。インターネットカフェに行ったこと、新しいホテルに予約を入れ引越ししたこと、マーケットに行ったこと、それ以外には何だかダラダラと一日を過ごした。と言ってもミッシェルのこと、結構せわしない。動きは遅いのだが口だけはせわしないのが彼である。面白いことには、電話で予約を取ろうとすると、外人だと、断られる場合がこの街は多い。これはいつからだったか、政府が、外人のチェック機能を強化した。それはヴィザのページをスキャンしなければならず、従来のコピーをもってこいではいけなくなった州が増えたらしい。そうなると、コンピューターとスキャンがなければ、外人に部屋が貸せなくなった。外人を泊めるとメンドクサイ書類などがあり、インド人の観光客で十分うまくいけるホテルなどは、もろにはじめから、部屋が空いてないとなる。ブバネシュワールでまだ一度も外人に遭遇していない。外人が訪れる冬ももう終わり。インド人だけで対応できる季節なんだろう。インド・アクセントで電話してみたが、やはり何人か聞かれ、フランス人と言ったら断られるケースもあった。
これを外人差別と呼ぶか否か?
日本で外人さんお断りの高級レストランに腹が立つ私は、ついインドのことになると、許しちゃうのは、ちょっとオカシイのだけど。と言っても外人バスだからと言って不当に寒くして、毛布を売りつけたドライバーと毛布売りは徹底的に糾弾させていただいた。ああいう悪事は許しておけない。
日本で何が一番引っかかるかというと、無意識で考えていないことが頭に来る。
たとえば、三菱銀行に何故外国在住のままで海外のATMで自分の資産がコントロールできるまともな銀行口座が開けないのか? 何故外人用の銀行口座なんて物があるんだ? 日本に行かなければ自分の金が操作もできない不便な口座で円海外流出を防いでるのかと勘ぐりたくなる。それは外人並び外国在住の日本国籍人に対する差別ではないかと聞いたときも、
謝るだけで、お上が決めたことだから仕方がないと言う返事が返ってきた。
ほかの銀行も一律に同じで、三菱だけが特別でもないと答えられた。論理的な説明を求めても頭を深く下げて謝るだけだった。意識が高い答えがほしいものだ。支店長の立場で、何故日本政府がそうするかと言う税の問題を理論的に説明して、支店長の個人的な意見を付け加える回答がほしいのだ。何も考えたことや調べたことや疑問に思ったことがないのであろうか? こういうものだと鵜呑みにする無意識は悪意よりたちが悪いものだ。
彼の国、日本には、イデオロギーの共有と連帯が民主主義の下において必要なのだと思う。それが日ごろから行われなかったから、フクシマと言う一大事が起こってから地団太を踏んでいるのだろう。世界の国々は民主主義の下においてのイデオロギーの共有と連帯の衝突として戦争があった。それがお題目であって富の取り合いが本当の戦争の理由だとしても、世界はイデオロギーが衝突を起こして戦争が起きた。それは日本の歴史の中にはない。天皇陛下というイデオロギーに入れるとしたら、先の戦略戦争がそれにあたるが。。イデオロギーの共有と連帯が民主主義の下において必要なのだがそれが、まったく、ない、だからこそ、私の故郷日本を心配になってしまう。
私たち、ヨーロピアンと言う考え方がフランスに形成されていったのは、やはりチェルノブイリの爆発が大きいのではないかと分析する。フクシマと言う一大事が私たち地球がと言う意識につながって生きたいなと懇願している。チェルノブイリもフクシマも地球の問題だ。空気や水を共有するすべての生物の問題なのだ。
話をインドに戻そう。
Hotel royal Heritage
http://hotelroyalheritage.net/about.html
は何回も断られたあと、何とか見つけた安ホテルだった。この安ホテル面白いのは、オーナーと従業員たちであった。オーナーは生まれたときからポリープという障害がある男だったがきわめて性格が大雑把で明るかった。従業員も働きやすいようであった。楽しんで働いているような感じさえ見えた。いやらしさもなく、つるっと『奥さんは美人』と素敵なことも言える連中だった。そんな感じだったので、結構ホテルは繁盛していた。ザッパなのでルームサービスの請求金額が低かったが、正直に言って払ったらかえって感動された。どしゃぶり日にマーケットから命からがらトクトクでかえってくると、外人の大げささに彼らは屈託なく笑った。
一日半大雨のあとは、また熱気と湿気がやってきた。オリッサ州の首都と言っても、元インドの首都コルカタより人口密度は低く、緑がたゆやかなブバネシュワールでやっと観光らしきものを始めたのは、コルカタでコンタクトしていたトラヴェルエージェンシーと月曜日をまってやっと会えたからだ。日曜日は彼らは休みだった。